なぜポケモンGOが交通事故の原因として叩かれるのか

運転者がポケモンGOをやっていて小学生を轢き殺したという痛ましい事故があり、愛知県の一宮市がゲームの運営会社にシステム変更の要望を出したそうだ。
また、これに前後してバスの運転手が運転中にポケモンGOをやっている動画がネットにアップされ、これもバス会社が乗務中のスマホ携帯を禁止したとか。
これら一連の動きに対して巷でもいろんな反応があるのだが、なんだか幼稚な反応が支持を集めているような様子だったことが気になって、このエントリを立てた。

結論から言うと、やはりポケモンGOのゲーム設計には問題がある、ということが言いたいのだ。

さて、上に書いた「幼稚な反応」というのは、以下のようなものだ。
ポケモンGOが原因の交通事故で運営会社に原因を求める人達は缶ビールとかどう思ってるの? カーナビは?
上記リンク先の記事では、「缶ビールってもっとカジュアルに交通事故誘発できるよね。」などと述べて、事態がポケモンGOのゲーム設計の問題ではく、原因は本人に求めるべきだと言っている。
また、twitterのTLにも、以下のツイートが流れてきた。


缶ビールではなくバットに例えているが、主旨は同じである。
道具が悪いのではなく使う人間が悪いのだ、と。
ごもっともだが、とても幼稚な論である。

さて、本題に入る。

ポケモンGOは、缶ビールやバットとは全く違う危険性を孕んでいる。
それは、「移動しながら画面を注視することに強いインセンティブが働く」ゲームだということだ。
運転中にも、いや、むしろ運転中(移動中)だからこそ、小さな画面への誘引が常に伴う。
この誘惑は、運転中(移動中)であるがゆえに高まるという仕組みを持っている。
人間工学的には、極めて事故を招きやすい機構が働くのだ。
これは、酔うと運転したくなる缶ビールや、持つと人を殴りたくなるバットのようなものだ。
この点で、ポケモンGOにはシステム改善の余地はある。
システムの変更はユーザーの利便性を損なうことになるだろうが、それは事故リスクとのトレードだ。

誘惑に勝てない人間が存在することは、社会に課せられたリスクだ。
そのことを考慮しないシステム設計論は、幼稚な論でしかない。


オスプレイ安全論と反知性主義(軍事ブロガーという厄介な大衆)

反知性主義が台頭している。
江戸しぐさ、水からの伝言、EM菌などのデタラメが教育現場にまで入り込み、在日特権というデマを信じて恥知らずな行為を働く者があり、南京事件否定論などの歴史修正主義が日本の名誉と国際的立場を危うくしている。
いずれも専門家には否定されている「トンデモ」系の言説だが、これらに親和的なのが現在の安倍内閣で、その体質を示すように、憲法違反だという識者の指摘をよそに、安保法案を躊躇なく強行採決した。僕たちは、まさに反知性主義の時代に生きている。

「反知性主義」の根底は、「専門教育や知的訓練を受けていない大衆でも、知識人や専門家と同じように批判能力がある」という”誤った平等思想”であり、民主主義は衆愚政治に陥る危険を常に孕んでいる。
そしていうまでもなく、現代の反知性主義に力を与えたのは、インターネットの登場による無秩序な情報発信の加速である。なんら専門的知識の裏付けもなく、検証さえもされずに書かれた与太話が、あたかも一廉の論考であるかのように撒き散らされている。

忌々しいことだが、僕が飯を喰ってきた航空機技術の世界に関しても、反知性主義による情報汚染が起きている。
軍事ブロガー()と称する軍事オタクなどがまき散らしているオスプレイ安全論などは、その筆頭だ。

[防衛省資料よりオスプレイ事故率データ(2012年版) JSF | 軍事ブロガー]

たとえば上記の例では、航空工学はもとより、安全性工学の知識も全くない素人(ただの軍事マニア)が、防衛省がネットで公開した「事故率」という指標だけを採り上げて、あたかもオスプレイの安全性に問題がないように論じている。反知性主義の定型である「ネットde真実」というやつだろう。

以前も簡単に書いたが、事故率というのは単に運用実績の統計であって、航空機の安全性を保証する尺度などではない。

オスプレイの安全性に対する懐疑論というのは、これまでに存在しなかったティルトローターというカテゴリの航空機について、安全性の根拠となる設計基準が明確で無いことに由来している。
この記事の主張を他に例えるなら、近代医療とホメオパシー治療の事故死亡率を比べて、ホメオパシーが適正な医療行為だと言っているようなものだ。

航空機の設計開発経験もなく、専門の工学知識も学んだことがない素人が、市販の雑誌やネットで漁ったネタで好き勝手のデタラメを綴ったブログを書き、「軍事ブロガー」を名乗って寄稿しているのが、こうしたバカバカしい記事なのである。
ホメオパシーやEM菌などのインチキは”疑似科学”と呼ばれたりするが、こういう軍事オタクの吐くデタラメはさしずめ”擬似技術論”とでも言うべきだろうか。
もちろん、同様のデタラメを書いているバカは他にもいるが、この筆者は特に悪質(低レベル)だと思われ、航空以外の分野でも痛烈な指摘を受けているようだ。

素人が書いていることにいちいち目くじらを立てても仕方がない、とも思うのだが、そういう態度が、江戸しぐさや、EM菌、在日特権などのデタラメが跋扈することを許してしまった。インターネットが大きな影響力を持つ現代では、こうした反知性主義に断固として異を唱えることが、専門知を持つものの責務であろうと思う。その見地から、なんの知的訓練も経ていない軍事ブロガー()らのデタラメを許すつもりにはなれない。

もとより専門的な社会的立場を持たないブロガーなどにとっては、金銭的報酬などほとんどなくても、メディアへの寄稿は承認欲求と自尊心を満足させるため、簡単に飛びついてくる。メディア側も、プロの執筆者に依頼しなくても簡単に素材を得ることができて好都合だ。この浅ましい構造によってグレシャムの法則が簡単に発動する。
社会的な影響を考えれば、こうした現象は憂うべきことであり、デタラメな連中に放言の機会を与えるネットメディア(本事例のYahoo!など)や一部の出版社などには、猛省を促したい。
また、諸賢におかれては、くれぐれもこういう手合のデタラメを真に受けることのないよう、健全な情報リテラシーを培っていただきたいと思う。


航空ミステリー「推定脅威」

先月上梓された松本清張賞受賞作「推定脅威」。
著者は戦闘機開発の経験を持つ元技術者という触れ込みだが、受賞作発表のニュースは僕にとって大きな驚きだった。
確かに著者は戦闘機開発の現場にいて、僕も同じ職場にいたからだ。受賞のニュースに彼の本名はなかったが、写真の顔は昔とあまり変わっていない。
当時以来ずっと会っていないけれど、初めて書いたという小説で大きな賞を射止めたことが、自分のことのように嬉しく思える。

発売日にさっそく読んでみたけれど、とても読みやすくて、ストーリーもちゃんとしている。
エンタテインメントだから現実からの飛躍はあるが、そこに「現実を知っている者」の節度が働いていることが、この小説の売りだろう。
現実に立脚するあまり小説としての魅力を失ってしまうこともなく、一般の読者にとって面白い小説になっていると思う。
イラストが得意だったはずの「未須本 有生」氏が、これほど華々しく小説家デビューを果たすとは思わなかった。今後の活躍に大いに期待している。


幸福の科学は宗教団体などではない

佐々木俊尚氏が「幸福の科学」幹部との対談イベントに臨むというニュースが流れて、ちょっと炎上している。
【幸福の科学】佐々木俊尚氏が、ジョブズ霊について語るイベント

僕も少し興味が湧いて、「どこかからギャラが出るのかな」とtweetしたら、「幸福の科学からギャラが出る」という本人のリプライを貰った。
当然、ネットでは”佐々木俊尚が「幸福の科学」の広告塔になるのか”という反応が出てくるわけだが、佐々木氏は「私は純粋に自分の興味と好奇心から出演するだけなので、それを教団側が宣伝に利用されるのは別に構わないと思います。 そんなのどんなイベントでも同じでしょう。」と嘯いている。

日本人には宗教に対して奇妙な忌避感を持つ人が多く、宗教だとか信仰だとかいうと、すぐに非科学的だのカルトだの、否定的な反応が返ってくる。
僕自身は、この現象は嘆かわしいことだと思うし、機会があるなら宗教者や信仰者と話をしてみたいという程度の関心を持っている。暇な時期には、家を訪ねてきた「エホバの証人」の人と話し込んで、いろいろ教えてもらったこともある。
しかし「幸福の科学」の幹部なんかと宗教の話をしたいとは思わない。
「幸福の科学」のことを、宗教団体だなどと思っていないからだ。

大川隆法や「幸福の科学」のやってきたことを見ればわかるが、彼らにはなんら確固たる宗教的世界観があるわけではない。宗教団体のようなコミュニティを作り出すために、そこらへんのオカルトや既存宗教の断片的なエピソードを勝手に継ぎ接ぎしているにすぎない。
そして、彼らが目的にしているのは、そうして集めた信者と、そこから搾取した財による、世俗社会への影響力行使であることは、あまりにも明白だ。

僕は、佐々木氏の宗教に対する「興味と好奇心」を疑わないが、「幸福の科学」をその対象とし、あまつさえ報酬を得て対談に参加するという行為は、あまりにも軽率であり、彼の知性を疑うには充分な事実だと言わざるをえない。


今年もせいこ蟹のシーズンです

紅葉シーズンを迎えると、そろそろ冬の味覚が恋しくなります。
小振りなせいこ蟹の詰め合わせをネット通販で買うと、けっこう安いのです。