ダーウィン「生き残るのは最も強いものでも最も知的なものでもない。変化に最もよく適応したものである」(嘘)

いきなり長いタイトルで出オチなんですけども、この噓んこ名言がいまだに跋扈していることに憂慮を深めているブースカちゃんです。

そもそもダーウィンの学説を考えれば、こんなこと言うわけねえじゃん?っていう疑問を感じる人も多いと思ってたんですが、これがなかなか根強いんですね。
どうしてか、っていうと、いろんなところで、特に胡散くせえ経営コンサルみたいな連中が、相変わらず孫引きを繰り返しているからなんですね。

いきなりこれを思い出したのは、たまたまこのサイトアーカイブ)を見ちゃったからなんですけど。

それに、大企業と比較して、中堅・中小企業ほど本来は身軽に動けるはずです。ダーウィンの進化論を知っていますか? 地球の歴史をひもとくと、生き残ったのは「強い種」でも「賢い種」でもありません。「環境変化に適応できた種」こそが生き残っているのです。中堅・中小企業であっても、しっかりと働き方改革の波に乗ればこの厳しい時代でも必ず生き残っていけるはずです。

知っていますか?じゃねーよ、お前こそ知らねえんだよっつーの。バーカバーカ。

で、ちょっとweb界隈を見てみたら、natromさんが2001年に「ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残ると言ったか?」というブログエントリを書いてて「創作じゃねえの?」って言ってますね。

実はこれ、あまりにも有名なインチキ名言なので、今ではちゃんと出典も調べられています。ていうか、もう情報強者の皆さんはよく知ってるもんだと思ってたんですよ。

その解説として、いちばんまとまってると思ったのは、ケンブリッジ大学の「Darwin Correspondence Project」っていうサイトでした。
ぶっちゃけて書くと、ダーウィンは「種の起源」の中で(当然だけど)こんなことは言っておらず、書簡の中でこういう言葉を書いたのは事実なんだけど、それはダーウィン自身の考えとは「違う」という文脈なんですね。
そして、これが「ダーウィンの言葉」として広まるきっかけになったのは、1963年にメギンソンという人の書いた、ビジネスマン向けの教科書だったそうです。でもって、このメギンソンという人物は、ロシアのカール・ケスラーによる「相互援助論」に影響されており、そのことがダーウィンを誤解した背景にあるようです。
さすがケンブリッジ大学だね。

んでもって、この「偽ダーウィンの名言」は、けっこうな頻度で今でもお目にかかることができます。
僕自身も「ナントカ流カイゼン塾」みたいな業者が作ったテキストに載ってたのを見て、微笑ましくも苦々しく思ったものですけど、皆さんの身近でも見かけるんじゃないでしょうか。

で、そういう手合いの言うことを真に受けて始まる「改革」っていうのは、natromさんが書いてる小泉純一郎の新自由主義と同様、たいていヤロビ農法なので、みんな気を付けたほうがいいですね。

そんじゃーね。
(・ω・)

そういえば最近は今西進化論ってあまり話題にならないね。
(・ω・)


ダーウィン「生き残るのは最も強いものでも最も知的なものでもない。変化に最もよく適応したものである」(嘘)」への2件のフィードバック

  1.  こんばんは、Lです。ダーウィン先生は後々の人々に我田引水的に使われて不憫ですねえ。
     まあ、「適者生存」を言った人ではあるのでごく部分的には正しい。また、今日の研究ではより「強い」(食べるのが早くてどんどん増える)方が生き残り、より「弱い」方が競争に負けて滅びるというものでもなく、弱い方も隅に隠れて少しだけど生き残ることもまま見られるということもわかっています。
     「今西進化論」の方は(1)そもそも学問的に筋が悪い(2)21世紀には古臭過ぎる(3)ソコソコ勢力のあった、本人と信奉者の多くが死んだことで触れられなくなったんでしょうねえ。後は、今西錦司は色々と裏のある人だったから生前は批判されにくくて流布した面もありそう。「今西進化論」の元ネタは36歳で兵隊にとられサイパンにて殺された可児藤吉の研究。今西にせよ、源田にせよガーランドにせよ、生き残った者が歴史を作るというわけです。ま、それでも可児が見出した水生昆虫の形態・生態・環境の関係は高校の教科書に載っていますから、以て冥すべきではあります。
     さて、無念の死を遂げた可児の記録は30年余り後、京大の研究室のガラクタの中から発見されたそうです。アルコールが抜けた標本瓶多数と黴たネガが何枚か出てきて光に透かしたところ、ぼんやりと見えた渓流の像は教科書で見覚えがあるものであったと。「ああ、これは可児先生の遺品、本邦生態学の金字塔のよすがであったのだ」といたく感動したと、昔「インセクタリウム」誌で読みました。今西は軍とか偉い人に太いコネがあるのですから何とかできたでしょうに、ひどい話です。

    1. 僕らの世代だと、学生時代まで今西錦司のネームバリューは大きかったです。
      水棲昆虫の研究から出てきた「棲み分け」説のほかにも、霊長類の話だとか、登山家としての活動とか、とにかく各方面への影響力が強かった人でした。
      京都の人という印象が強い人物ではありましたが、岐阜大学の学長を務めたり、犬山市に京大霊長類研究所があったりした関係で、僕の住む地方にも地縁のある人物でした。
      もう亡くなってからずいぶん経ったと思いますけど、この先も毀誉褒貶の多い人物として語られることでしょうね。

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