幸福の科学は宗教団体などではない

佐々木俊尚氏が「幸福の科学」幹部との対談イベントに臨むというニュースが流れて、ちょっと炎上している。
【幸福の科学】佐々木俊尚氏が、ジョブズ霊について語るイベント

僕も少し興味が湧いて、「どこかからギャラが出るのかな」とtweetしたら、「幸福の科学からギャラが出る」という本人のリプライを貰った。
当然、ネットでは”佐々木俊尚が「幸福の科学」の広告塔になるのか”という反応が出てくるわけだが、佐々木氏は「私は純粋に自分の興味と好奇心から出演するだけなので、それを教団側が宣伝に利用されるのは別に構わないと思います。 そんなのどんなイベントでも同じでしょう。」と嘯いている。

日本人には宗教に対して奇妙な忌避感を持つ人が多く、宗教だとか信仰だとかいうと、すぐに非科学的だのカルトだの、否定的な反応が返ってくる。
僕自身は、この現象は嘆かわしいことだと思うし、機会があるなら宗教者や信仰者と話をしてみたいという程度の関心を持っている。暇な時期には、家を訪ねてきた「エホバの証人」の人と話し込んで、いろいろ教えてもらったこともある。
しかし「幸福の科学」の幹部なんかと宗教の話をしたいとは思わない。
「幸福の科学」のことを、宗教団体だなどと思っていないからだ。

大川隆法や「幸福の科学」のやってきたことを見ればわかるが、彼らにはなんら確固たる宗教的世界観があるわけではない。宗教団体のようなコミュニティを作り出すために、そこらへんのオカルトや既存宗教の断片的なエピソードを勝手に継ぎ接ぎしているにすぎない。
そして、彼らが目的にしているのは、そうして集めた信者と、そこから搾取した財による、世俗社会への影響力行使であることは、あまりにも明白だ。

僕は、佐々木氏の宗教に対する「興味と好奇心」を疑わないが、「幸福の科学」をその対象とし、あまつさえ報酬を得て対談に参加するという行為は、あまりにも軽率であり、彼の知性を疑うには充分な事実だと言わざるをえない。


今年もせいこ蟹のシーズンです

紅葉シーズンを迎えると、そろそろ冬の味覚が恋しくなります。
小振りなせいこ蟹の詰め合わせをネット通販で買うと、けっこう安いのです。


「風立ちぬ」 宮崎駿は設計者を描けていない

ご多分に漏れず、僕も映画「風立ちぬ」を観てきた。
ディテールがとてもよく描写された、美しいアニメーション映画だった。
興行成績もよいらしく、概ね好評を得ているようだ。

一方で、「零戦をつくった責任について無邪気すぎる」という評もあった。
紙屋研究所:2013-08-18 映画「風立ちぬ」を批判する

なぜゼロ戦開発、少なくとも九六式開発が描けないのかという問題に移ろう。結論からいえば、「零戦をつくった責任について無邪気すぎる」ためであり、ぼくのこの映画に対する最大の批判点はまさにその点にある。

まあ、兵器を作る者の責任について、何らかのエクスキューズを求める気持ちはわかるが、この映画にそれを求めるのは筋違いだろう。
むしろ、同じ批評にある「飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れ」ていない、という点のほうが、この映画の主題において重要だ、というのが僕の意見だ。
というわけで、この点については自分でも思うところがあり、ここで少し触れてみたい。

まず、この映画では、戦闘機を開発するモチベーションとして、作中の堀越に「美しい飛行機をつくりたい」と言わせている。
(参考リンク:J-CAST)

・・・・とんだ寝言である。

現実の飛行機設計者は、そんなふうに思って飛行機を開発してなんかいない。
優れた飛行機が美しいのは、設計者が「美しく設計する」からではなくて、とことんまで機能や性能を追求した結果、必然的に機能美が宿るからに他ならない。
「美しい飛行機を作ろう」として、優れた飛行機など生まれっこないのだ。
とりわけ、零戦のように、相矛盾する要求に対して高度な妥協点(コンプロマイズ)を求める戦闘機においては、設計者にとって要求実現の追求だけが全てであって、美しさなどというものは、その結果からしか生まれようがない。

宮崎駿は兵器マニアを自認していて、多くの作品中に自身の創作による飛行機を多く登場させている。
けれども、工業製品たる航空機の設計に宿る本質は、本作においてもまったく描くことができていない。
先のリンクで、本作では「飛行機開発が描かれていない」と評されているが、実にそのとおりである。
しかし、その理由は「零戦をつくった責任について無邪気すぎる」からではなくて、アニメ作品を創作するクリエーターである宮崎駿には、工業製品である「飛行機にかける設計者の想い」や「設計・造形のロジック」が根本的に理解できていないからなのだ。
その点において、宮崎駿は、飛行機マニアとして落第である。

Amazon.co.jp: そのほか、零戦と堀越二郎の関連書籍


ジェット燃料JP-8をJET A-1に切り替えるとは?

隅田金属日誌(墨田金属日誌)というブログサイトで、「米軍もJet-Aを使うってさ」と題した記事が書かれていた。

米空軍が民間燃料を使うというニュースがある。これこれなのだがね。高い軍用統合燃料JP-8から、民生用のJet-Aに切り替えてみましたという話。

JP-8もJet-Aも、基本的には、同じ燃料なので何も起きない。普通にエンジンは回るし、普通に飛ぶ。凍結防止剤ともう一つを添加したとあるが、これも特に必要なものではない。民間機はJet-Aのままで高空で飛んでいるし、ICAOも問題にしていない。

これについては大略間違っていないが、少し理解不足があるような気もするので、以下に補足してみる。
まず、JP-8とJet A-1は、そもそも燃料としては全く同じだ。民間規格ではJet A-1だし、軍用規格では多少の添加剤を加えてJP-8としているにすぎない。では、なぜJP-8とJet A-1は価格が違うのか?
それは、JP-8としての認証を取得して維持するために、MIL規格の品質管理規定を守らねばならないので、多額の費用がかかっているものと考えられる。つまり、Jet A-1と同じものだけど、JP-8のラベルを貼って売るために、それだけの追加コストがかかるということだ。
(他の製品分野でも、実はこういうことはよくある。米軍では、こういう不合理を正すために、多くのMIL規格について廃止や格下げ、民間規格への置き換えを進めてきた経緯がある。90年代のMIL改革と言われる事業で、我々の業界は少なからぬ影響を受けている。)

今回JP-8をJet A-1に替えるというのは、同じ内容の規格であれば、同等の民間規格に基いて調達しても良い、という判断だと言える。
分かりやすく例えるなら、ある材料がメートル法でなくフィート・インチ法で検査されたものであっても、同じ長さであれば購入して良い、というような意味にすぎない。
だから、JP-8を指定された軍用機にJet A-1を入れても、何も問題が起きないというのは、技術的に正しい。この点は墨田金属さんの記事も間違ってはいない。

しかし

別にJet-Bでも、JP-4でもJP-5でも、何も起きない。陸空自衛隊機、海自機、海保機、米軍機は、他所の基地や艦艇で燃料を貰うことがあるが、燃種が切り替わっても、さらにタンク内でコンタミしても、何も起きない。

この部分の理解には大きな間違いがある。

JP-8指定の機種にJet B-1やJP-4、JP-5を入れたらどうなるか。
これらはJP-8やJet A-1とは異なる物性(引火点、沸点、比重など)を持っている。墨田金属さんが書いているように「燃種が切り替わっても、さらにタンク内でコンタミしても、何も起きない」なんてことは、言えない。

確かに、ジェットエンジンはあまり燃料を選ばない性質がある。しかし、エンジンも航空機も、予め使用燃料を想定して設計されているので、想定外の燃料を使用すれば、想定外の不具合(トラブルや事故)が起こる。
これが料理のレシピ程度の話なら「まあ大丈夫じゃねえの?」とやってみるのもありだが、航空機の運航に関してはありえない。厳密な技術検討と実地試験を抜きにして判断は不可能だ。
実際、燃料性状に機体(エンジン)側の設計が合致していないための不具合は起きている。

現在、たとえば米空軍の多くの機種では、JP-4でもJP-8でも使えるようになっている。けれども、それはその前提で設計されているか、あるいは個別に検証し、問題点については対処した結果、使えるようになっているだけだ。そして、使用可能な燃料の種類については、ちゃんと機体のスペックやマニュアルに、使用条件とともに明示してある。それ以外は、現場の勝手な判断で使ってはならない。

もちろん、素人さんの書いたブログを読んで、ああそうなのか、なんでもいいんだ、と勝手に指定外の燃料を給油するような馬鹿は、航空従事者にはいないことはわかっている。
しかし、ちょっと気になってしまったので、少しでも誤解を正したいと思い、駄文を奏した次第。