文革当時の中国空軍は半端じゃないよ

文化大革命当時の中国空軍では、航空管制のやりとりにも政治スローガンを付け加えることを強いられていた、という衝撃のレポート。
文化大革命時期の航空管制が大変なことになっていた件=形式主義の極致と命懸けの早口言葉―中国

僕はこれを読んで、まず「ああ、これは本当の話だろう。」と思ったのです。
似たような話を、15年近く前に、中国から来ていた留学生のA君に聞いていたからです。
今日は、その話を書こうと思います。

それは1990年代の終わり頃、A君は日本の専門学校に留学していた中国の若者で、ある施設にアルバイトに来ていました。
A君はたいへん飛行機が好きだというので、その施設の人が僕を紹介してくれました。いい話し相手になるだろうと思われたのでしょう。

その頃、中国は経済開放の影響で大きく変わりつつありましたが、まだまだ今ほど豊かではなく、街で見かける出稼ぎの中国人は、たいていみすぼらしい身なりをしていました。
しかしA君は、さすが日本に留学するというだけあって、身なりもちゃんとしており、育ちの良さも感じられました。日本語も達者です。A君に日本の印象を聞くと、「活気が無いですね」と答えてくれました。伸びゆく中国の若者の目には、経済的に停滞を始めた日本の様子は、確かに活気を失って見えたのでしょう。

さて、ここからが本題。中国空軍の話です。

A君曰く、彼の父は空軍の高官なのだという。(ああ、それは裕福なはずだ、と納得。)
なんでも、朝鮮戦争に陸軍兵士として従軍した際、上官の命を救った褒美に、好きな進路に進むことを許されたのだそうです。それで戦闘機パイロットになり、昇進を重ねて空軍高官に上り詰めたそうな。
なんだかドラマのような話で、眉に唾をつけたのだけれども、中国ならありそうな話だとも思いましたね。

それで、A君によると、中国の戦闘機部隊は基地を1箇所に定めない。
普段は使っていない基地が各地にたくさんあって、戦闘機部隊はそれらの基地を転々と移動し、敵の先制攻撃を受けないようにするのだ、と。

なるほど。
さすがに1990年代には、そんなことはなかっただろうと思いますが、少なくとも1980年頃までは、そういう運用が行われているという噂はありました。僕は納得しました。

A君は続けます。
「戦闘機部隊が危険なのは、空中戦の訓練とかじゃないんです。」
「部隊が基地を移る時が、いちばん危ないんです。」
「なぜなら、別の基地へ飛んでいく時に、部隊の半分くらいは迷子になって墜落してしまうんですよ。」

A君は事も無げに言うのです。

それってさすがにマズいだろ・・・、と思いましたが、さすが中国!とも思いました。
きっと、文化大革命当時のお話なんでしょうね。
当時の中国では、広大な国土を戦闘機が安全に飛行できるような航法施設なんて、整備されてはいなかったでしょう。充分ありえる話です。
第二次大戦中の日本でも、慣れない洋上を飛んだ陸軍戦闘機部隊が、機位を見失って全滅したなんて話は残っています。

いずれ、中国の開放がもっと進んで、こういう話がたくさん聞ける時代になるといいですね。


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