先のエントリで触れた防衛事務次官通達に絡み、国会で仙谷官房長官が「暴力装置でもある自衛隊」と発言して物議を醸し、発言の撤回やら、菅首相の謝罪やら、賑やかなことになっています。
まあ、自衛隊を含めて、軍隊は「暴力装置」以外の何者でもありません。
クラウゼヴィッツも、「戦争論」の中で「戦争は政治目的を達成するための手段であり、暴力を使って自分の意志を相手に強制するもの」であると言っています。その「暴力」こそ、軍隊です。
そして、そのことは自衛官の誇りをいささかも傷つけるものではないし、謝罪の必要なんかありません。
また、自民党の石破茂も、朝日新聞のフォーラムで「警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と明確に述べています。
これが定義と言えるかどうかはともかく、表現は間違っていませんし、彼には自衛隊や警察を誹謗する意図もありませんね。
しかし、仙谷発言が微妙なことになっちゃうのは、その言葉が国会答弁で用いられたということです。
先に挙げた石破の発言は、参加者全員が大学教授などの知識人というフォーラムでのことです。そのため、「軍隊(自衛隊)=暴力装置」という定義は、レトリックでもなんでもなく、社会学上の共通認識(常識)として受け入れられています。
ところが、社会学なんてものには何の縁もない大衆は、その言葉が「自衛隊を誹謗する表現」だと思ってしまうのですね。
つまり、「暴力=いけないこと」だから、「暴力装置」という言い方は「悪口」を言ってるんだ!というわけです。
改めて言うまでもないのですが、現代の日本で、国会は知識人のものではありません。大衆のものです。
先の尖閣ビデオの取り扱いもそうでしたが、このところ、民主党政権が大衆の情緒を汲めず、ドツボにはまるケースが続いています。
畢竟、民主主義とは衆愚政治でしかあり得ません。
政治が大衆をコントロールできなければ、ほんとに国が危うくなってしまいますね。