P-51とスピットファイアの「メレディス効果」

前回のエントリで古雑誌を自炊していることを書きましたが、その古雑誌の中でアメリカ空軍博物館が出している「Friends Journal」があります。
その1995年の号(VOL.18, NO.4 WINTER 1995)に、P-51の「メレディス効果」とスピットファイアについて書かれたものがあったので、概要を紹介しておきます。

「メレディス効果」というのは、1935年にイギリスのメレディスさんが発表した理論で、航空機のラジエター冷却空気の出口側を適切に絞ることで、抵抗の大きな削減が図れるというものです。
この理屈がP-51ムスタングに採用され、他の戦闘機に差をつけることに成功した理由の一つだということを、ノースアメリカン社でP-51にも関わったらしいアトウッドさんが語って、話題になったものです。

アメリカ空軍博物館「Friends Journal」に掲載されている記事は、このアトウッドさんの話を受けるような形で、J Leland Atwaterさんという人が書いています。
P-51の「メレディス効果」はあった。ではイギリスのスピットファイアはどうだったのか、というような話です。

この記事によると、メレディスさんが1935年の時点でスピットファイアの設計に影響を与えていたことを示す文献は数多く存在するそうで、その意味ではスピットファイアも「メレディス効果」を知らずに設計されたわけではないようです。
しかし、実際に出来上がったスピットファイアのラジエター機構は、出口が十分絞られる形にはなっておらず、「メレディス効果」を期待できるものではありませんでした。
これについて、1942年8月10日付のロールス・ロイス社実験部の報告書には、可動式の出口フラップをさらに閉じることで、「スピットファイア」の速度は計算上13mph向上させることができたと明記されているんだとか。

このような事態になってしまった理由について、記事を書いたAtwaterさんは、スピットファイアの設計者ミッチェル氏が亡くなってしまった(1938年)ことや、戦時における作業の優先順位と緊急性、そしておそらくメレディス論文の部分的な誤解が影響していたと推測しています。

[追記]
筆者のJ Leland Atwaterさんは ”This order was based, at least in part, on my representation that the design would incorporate the British “Meredith Effect” of drag reduction.”と書いており、英空軍がP-51を採用したのは、彼が「P-51はメレディス効果を使っている可能性がある」と示唆したことも、一つの要因になったと語っています。
ほんとかどうかは、よくわかりませんけども。


P-51とスピットファイアの「メレディス効果」」への2件のフィードバック

  1.  記事紹介、ありがとうございます。”メレディス効果”で検索するとマニアな方々の考察が並び、ブースカさんのご趣旨の一端が見えてきた気がしました。機体に突出した冷却器入り口と冷却器カバーは有害抵抗になるので少しでも抵抗を抑えたいし、冷却器の効率も上げたいというところで見いだされたのがメレディス効果のお話のようで。入り口から外気が入ると中は小広くなっているため飛行速度よりも流速が下がるので空気抵抗が減ると共に冷却器を少し時間を掛けて抜けるので外気に良く熱が伝わって冷却効率が上がる。冷却器の出口は適当に絞ってやると、先を指で潰したホースから出る水のように流速は飛行速度よりも早くなるから、冷却器周りで生じる抵抗の一部を補償できるということなのかな?と。
     スピットファイアでは最適な冷却器出口の大きさではなかったとのことですが、スパイトフルでは最適化されたのか?とかスパイトフルで得た設計を適用した翼を持つ末期型のいわゆるスーパースピットファイアはどうだったのだろう?とか考えてしまいます。
     さて、話は変わりますがツイッターで米海軍ジェット攻撃機を話題にしていましたね。A-4カッコいいです。1978年、宇宙博というのがあってそこでIMAXという規格の映画To Fly!を見ました。ブルーエンジェルスが飛び回るシーンでは超巨大スクリーンなのでアップでは実物大サイズになって度肝を抜かれました(調べたら23m×30mだからA-4より大きい!)。
     で、ツイートでは”A-4もA-3も目的が似ているのに全然違う”というご趣旨でありました。ご案内の通り、戦後の米海軍は、空軍のように原爆を装備し戦略核攻撃任務をせずんば死んじゃうと思い詰め、B-25ドーリットル爆撃隊方式で核爆弾を積んだネプチューンを空母に載せました。当時の原爆は巨大なだけでなく(1)繊細なので?爆弾倉に入れる(2)飛行中に人が爆弾倉に入って最後の作業をする必要があったためだそうで。流石に片道飛行はあれだろということで、開発されたのがサベージやA-3。多座多発全天候重核攻撃機の系譜でA-5,A-6と続くと。一方、普段使いで安くて多く揃えられる攻撃機も必須ということで単座単発昼間攻撃機の系譜が並行していてA-1,A-4,A-7があると。こちらも核兵器が小さく軽くなると核攻撃任務を与えられますが、基本、通常兵器を使うと。ま、戦闘機の方もフューリーやタイガーのような昼間戦闘機とカットラスやデモンのような全天候戦闘機の2本立てでしたね。A-6,A-7くらいになると任務がクロスオーバーしてきてここにファントムも戦闘爆撃機として重なり、とうとう2系列の攻撃機と戦闘機、ついでに電子戦機と偵察機(給油機も?)までFA-18一機種に統合されたと。
     というわけで、A-3とA-4は,括りは攻撃機で共通だが目的はけっこう違うというべきでありましょう。A-3はたぶん、通常爆弾をベトナムで降らしたことはないのでは?釈迦になんとやらですが、ブースカさんには字数制限のキツイツイッターではありますけど、もう少し解像度を上げて啓発してほしかったです。

  2. 訂正
    ”A-3はたぶん、通常爆弾をベトナムで降らしたことはないのでは?”
    は、間違いです。「世界の傑作機A-3スカイウォリア」によると、65年3月にVAH-2所属機が通常爆弾を降らしている由。また、米国が表立っての介入を始める以前の63年にはVAH-4所属機がラオスを爆撃していた模様。

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