山本五十六の述志と日本語の「誤訳」

旧海軍連合艦隊司令長官、山本五十六の遺書とみられる文書「述志」の直筆原本が、海軍中将堀悌吉の遺族宅で見つかったというニュースがありました。
時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008120100883
実を言うと、このニュース自体に特に関心はないのですが、気になったのは、ニュース記事中にある現代口語文への訳文です。
記事には、こうあります。

「此(この)身滅すへし此志奪ふ可からす」(自分は死んでもいいが、志は誰も奪ってはならない)とある。

つまり、「奪ふ可からす」を「奪ってはならない」と解釈しているのですが、これは間違いです
正しく訳すなら、「この志は誰にも奪えない」です。
だいたい、自らの志を記した「遺書」ともいうべき「述志」に、「私の志を奪ってはならない」なんて書くはずがありません。記事を読んだ子供だって、なんか変だなあ、と思うんじゃないですか?
このニュース記事は、大分県教育委員会の「大分県立先哲史料館」による発表を基にしていますが、この誤訳が、「先哲史料館」側によるものか、取材した記者によるものかは、わかりません。
教員の集まりである教育委員会が、こんな中高生の国語レベルの間違いをして気づかないとは思いたくありませんが、教員の採否をめぐって賄賂を取っていた役所ですから、納得できるといえば納得できますね・・・。
いずれにせよ、多くの人の目を通ってきたはずのニュース記事が、どこでも訂正されることなく、ネット上に広く流出していることに驚かざるを得ません。


しかし、「可からず(べからず)」という言葉を、一律に「~してはいけない」と訳してしまう間違いは、巷でよく目にします。少し例を挙げましょう。
「民は由(よ)らしむべし、知(し)らしむべからず」(論語)
 → ○「民衆を従わせることはできても、(政策の意図を)知らせることは難しい(できない)」
 → ×「民衆は従わせておくべきで、(情報を)知らせてはいけない」
「天皇は神聖にして侵すべからず」(日本帝国憲法)
 → ○「天皇の権威は神聖であって、誰もこれを侵犯することはできない」
 → ×「天皇の権威は神聖であって、誰もこれを侵犯してはいけない」
いずれも、誤訳のほうでは、いかにもヘンテコな意味になっていますが、誤解したままで、不思議とも思わず使っている人が多いようです。
総理大臣が漢字が読めなくて恥をかいていますが、笑っているマスコミのレベルだって、決して高くはないのです。悲しいことですが。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください