中国の飛行艇AG600と日本のUS-2

海上自衛隊の飛行艇US-2は、日本が独自に開発して運用するユニークな航空機として、よく知られています。
しかし、躍進著しい中国でAG600という飛行艇の開発が進んでいて、中国の国内はもとより、国際的にも注目を集めています。
今回は、ちょっとAG600の話をします。

最初の「試作機」

AVIC AG600 鯤竜(鲲龙)飛行艇最初の試作機(飛行試験用)は、2016年6月にロールアウトし、2017年12月に初飛行しています。
水上からの離着水は翌年から実施されましたが、海上での離着水は2020年7月26日のことです。

2020年7月26日の洋上初飛行 ©新華網

このAG600はUS-2よりも大型で、US-2が実施している救難任務のほか、まだUS-2で実用に至っていない空中消火任務を実現するべく開発されています。

AG600 US-2
全長(m) 37 33
全幅(m) 39 33
最大離陸重量(陸上)(kg) 53,500 47,700
最大離陸重量(洋上)(kg) 49,800 43,000

2022年の「試作機」

上に挙げた最初の試作機は、US-2と異なりキャビンの与圧を備えていませんでした。
そのことは、製造中の写真からも見ただけでも、キャビンが耐圧構造になっていないことから明らかでした。
しかし、2020年5月に改めて「初飛行」した「フル装備モデル」とされる試作機は、そうではありませんでした。
与圧を備えたキャビン構造を備えていたのに加え、空力設計の面でも隙間フラップに変更されるなど、まったく別の機体になっていたのです。離陸重量も60tと伝えられているので、機体規模としては更に大きくなっているようです。

2022年5月31日 ©新華網

これには正直驚きました。
AVICがどのような計画を持っていたのかわかりませんが、以前の「試作機」は、この「フル装備モデル」に向けた技術実証用の機体だったと言ってよいのかもしれません。
実用に向けたプロトタイプは、この「与圧」と「隙間フラップ」を装備した機体になるのでしょう。

しかし、AG600はUS-2のようにBLCを使った「パワード・リフト」は採用しておらず、STOL性能ではUS-2に劣ります。そのため離着水できる水面も、US-2が波高3mを謳うのに対して、AG600は波高2mと控えめな数字になっています。
その点ではUS-2に一歩譲ると言えますが、それは逆にAG600の「強み」です。

AG600は「売れる」ことがUS-2との違い

AG600は、軍用の救難機としてだけではなく、中国の公安部による洋上警備や漁業監視、交通部による海上救難、林業部による消防活動など、公共サービスでの運用が期待されています。そして、当然ながら輸出も視野に入れており、本機に関心を示している国もあります。

こうした使用目的を踏まえ、AVICではAG600の設計にあたっては民間の耐空性基準を採用し、民間機としての型式証明を得ることを前提にしています。
具体的には、アメリカの14CFR Part25に該当する中国航空局CCAR-25が設計基準となっているのです。
この基準は、日本だと耐空性審査要領の第三部にあたりますが、内容が国ごとに違っているというのではなく、ほぼアメリカの14CFR 25をコピーしたものです。

一方、US-2のような「パワード・リフトSTOL機」では、その耐空基準を満足することは絶対にできません。
主翼が前進することで発生する揚力だけではなく、エンジン後流の吹き降ろしも使って機体を支える「パワード・リフト機」は、通常の飛行機とは全く違った特性を持っているからです。
US-1やUS-2の設計は、この「全く違った部分」の安全性を独自技術で確保していますが、それは国際的な基準の評価を経たものではなく、あくまで「メーカーと防衛省が審査して許容した」ものにすぎません。
従って、どう頑張ってもUS-2は自衛隊や海外軍隊以外で使用することはできませんが、AG600であれば普通の飛行艇として運用や輸出が可能なのです。

この点について、なぜか日本では航空機関係者でさえ十分に認識していない節があり、ましてや一般の報道で触れられることはありません。
これはどっちが「優れている」「劣っている」という話ではなく、設計と技術の本質に関わる問題であり、そうした本質から離れた「国産製品賛美」を繰り返していては、日本の飛行艇技術に未来はありません。
まして、技術を「パクった」とか「パクられた」とかいうのは、まったく見当違いで論外な話です。

航空機製造国として

型式証明とかいうと、世間では単なる「法的な手続き」の話で、あまり技術と関係がないように思われがちです。
しかし、その承認を得るための「耐空性審査要領」というのは、航空機が実用に供されるに十分な安全性を備えているかどうかを判定する基準として、歴史の蓄積によって得られた技術的知見そのものであり、これだけが国際的に通用する設計基準なのです。

軍用機の開発や設計にあたっては、米軍の定めた諸基準やMILスペックなどが適用されますが、これらはあくまで軍の規格に過ぎませんし、その適用に一定の恣意性も許容されています。実用性のある軍用機の設計と、民間でも実用に供することができる航空機の設計は、土台とする基準が違うのです。
海外へ輸出できる航空機、あるいは民生用途で活躍できる航空機を開発できる国であるためには、その「国際的な基準に基づき、国として航空機の安全性を担保する」能力が必要です。
日本では、どうもこのことが理解されているとは思えません。

日本でも航空機技術を育て、航空機産業を活性化させ、あわよくば輸出ビジネスにも繋げようという声は、昔からよく聞かれます。そのために、航空機産業への経済的あるいは法的な支援も、繰り返して行われてきています。
しかし、産業界にいくら公金を投下しても、それは産業界が「使う」お金になるだけで、日本が航空機産業の基盤たり得る国になれるわけではないのです。

日本において製造される航空機に、安全な製品であるかどうかの認証を与えるのは「国土交通省」なのですが、国交省が航空機産業に対して「技術的に」適切な指導を与えたり、アメリカやEUといった外国の航空当局に対して「対等に」渡り合える能力があるかどうか。それがなければ、日本製の飛行機は海外で通用するわけがないのです。
MRJ(スペースジェット)開発の失敗例で痛感したことですが、日本では官民ともにこうした認識が決定的に欠けているように思います。


中国の飛行艇AG600と日本のUS-2」への4件のフィードバック

  1. なるほど。
    こうした真っ当な認識が広がらない日本の「言論空間」もまた、日本的に特殊になりすぎていますね。
    そして、これもまた是正がとても難しい。

  2.  こんにちは、Lです。軍用機ファンはBLCとか言うと「高性能機の基本だよね~」と単純に納得してしまいますが、商業機としてはむしろ禁忌なのですね。着水可能な最大波高が大きいほど良いのは当然ですが、民間機の基準からはみ出してしまっては商業機失格です。
     特殊で少数の官需機ではなく、民間機として広く売りたい、少なくとも手掛かりとしたいという中国機メーカーと指導する政府はまっとうですね。旅客機の道は非常に厳しいそうですが50年後の世界では旧第3世界を中心に、中国製民間機の世界シェアもそこそこになってるかもしれません(BRICS仲間のブラジルのエンブラエルとすでに組んでるようですし)。
     そうそう民間向け大型飛行艇というとボンバルディア CL-215/415がありますが、こちらもBLCはなさそうです。Be200も離水や着水距離が1000m以上あるので、BLCはなさそうです。
     ところで、BLC以外にもYC-14/15や飛鳥、An72などのジェット輸送機で試されたUSBだのEBFだのも、BLCのような特異な離着陸操縦性を示すのでしょうか?商業機では見ませんが、これらもまた耐空基準からはみ出す技術なのですか?

    1. USBあるいはEBFを採用しても、それだけで耐空性基準を満たさなくなるわけではなく、操縦性などが基準の範囲に収まっているか、若干のデビエーション(規定逸脱)で済むなら、認可を受けて耐空証明が得られます。
      An72の飛行操縦特性が分かりませんが、おそらくSTOL性以上にFOD(異物吸入)対策の意味が大きく、耐空証明が取れないほどは操縦性に影響を与えていないと思われます。
      しかし、YC-14や飛鳥のようにSTOL性を追求したUSB機では、操縦性が通常機と大きく異なるものになるので、特に離着陸時の操縦性が耐空性基準を満たしません。
      飛鳥やUS-2のSTOL着陸では、普通の飛行機と異なり、スロットルレバーではなく飛行経路角操作レバーを使って降ろすのですが、飛行機とは異なる「別の乗り物」のようなものです。
      昔、T-4と飛鳥を模擬できるシミュレータで、飛鳥のSTOL着陸に挑戦したことがありますが、とても自分には無理でした。諦めて、もっぱらT-4の操縦を練習しました。教官は、T-4と飛鳥の初飛行を担った原田実さんでした。

  3. お答え、ありがとうございます。
    飛鳥の飛行特性とそれに応じたインターフェースは、特異なのですね。漫然と飛鳥の記事を眺めていて全くその意識がありませんでした。
    商業機でも操縦装置からの入力を直接舵に伝えるのではなく、コンピューター処理して適切に舵を動かすご時勢のようです。ジェット旅客機は自動安定性増強装置なしにはまともに飛ばないといいます。BLCだのUSB使用時の飛行特性の特異さを機械で補償することも出来ないこともないのでしょうが、「そこは保守的に行きましょう」と言うことなんでしょうか?ブースカさんの「別の乗り物」を見ると、そんなんじゃ埋め合わせのできないレベルなのでしょうね。航空ファンの小生は、「カッコ良くて凄くてC-1の魔改造で素敵なのに、なんで飛鳥を実用化しないのだ!俺が欲しいのはどこで見たようなC-2なんかじゃない」と憤激しておりましたが、理由の一端を知ることが出来ました。

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