事故のあらまし
2019年4月9日19時27分頃、飛行訓練を行っていた航空自衛隊のF-35A戦闘機が、三沢基地の東方約135km付近の洋上で墜落した。
この事故は、19時26分頃に管制機関(自衛隊レーダーサイト)から、他機との交錯を避けるために降下指示を受けた後、高度31,500ft(9,600m)から旋回しつつ急降下し、わずか2分たらずで海面に激突したという異様なものである。
海面激突時の「降下率」は1,100km/h(60,000ft/min)以上であるから、飛行速度は1.0マッハを超えていた可能性がある。すなわち、機首をほとんど真下に向けた状態で、音の速さで海面に激突している。
F-35Aは航空自衛隊に配備が始まったばかりの最新鋭装備であるが、アメリカでの開発難航や価格の高騰に加え、現在も残るさまざまな不具合が知られていることから、この事故は単なる戦闘機の墜落に留まらない注目を浴びた。
問題が「機体の不具合」であるとすれば、このあまりにも高価な戦闘機を導入したことの是非が問われ、今後の調達計画にも影響が及びかねない。
しかし、大掛かりな捜索でフライト・データ・レコーダー(FDR)が回収されたものの、激しい墜落衝撃によって記録媒体が破損し、パイロットの操縦や機体システムの作動履歴など、重要な手掛かりは失われていた。
6月10日、航空自衛隊は事故原因を「パイロットの空間識失調によるもの」とした調査検討結果を発表した。
「空間識失調」とは
空間識失調は、Vertigo(ヴァーティゴ)とも呼ばれているが、自機の姿勢や運動状態を、実際とは異なるように錯覚する現象だ。具体的には、水平飛行しているのに傾いているようにしか感じられなかったり、まっすぐ飛んでいるのに旋回しているように感じられるなど、パイロットの知覚が実態と齟齬をきたしてしまうのである。
激しい三次元運動を行う戦闘機のパイロットは、視覚情報に多くを頼っている。従って、空間識失調が発生しやすいのは、夜間や雲中で水平線が視認できない場合だ。これに加えて、斜めになった雲を水平線に錯覚したり、海面の漁火を星に錯覚したりすると、空間識失調を招くことになる。
空間識失調は操縦経験の多少にかかわらず発生し、ベテランであろうと起きるときは起きてしまう。ただし、十分な知識と経験があれば、計器の示す機体の状態を確認して、自身が空間識失調に陥っていることを自覚することができ、自分の感覚よりも計器を信じて操縦することで、空間識失調から抜け出すことが可能である。
しかし、空間識失調に陥ったという自覚がなければ、パイロットは自機の姿勢を正しく判断できないまま、異常な飛行を続けることになる。
航空自衛隊の発表した資料では、事故機のパイロットは、異常な降下を始めた後も、無線通信を正常に行っていることから、この「空間識失調」に陥ったと推論している。
F-35における酸素欠乏症類似症状
アメリカの空海軍では、航空機の搭乗員が”Hipoxia Like”(酸素欠乏症のような)症状を起こすことが久しく 問題になっている。
これまで症状が報告され、問題になっている航空機は、F-35の各型式を含め、F-22、F/A-18の各型式、T-45やT-6などの練習機など、実に幅広い。それらのうち多くは、この問題に端を発して飛行停止になっているが、いずれも原因が突き止められないまま、飛行を再開している。
ここで注意が必要なのだが、とても面倒なことに、これらが本当に”Hypoxia”(酸素欠乏症)なのかどうかも、わかっていないということだ。
従って、機体の酸素系統そのものに問題があるのか、それとも乗員が身に着けるマスクなどに問題があるのか、はたまたOBOGS(酸素発生装置)の上流にあるエンジン抽気になんらかの原因物質が混じっているのか、検証しなければならない技術的要素さえ絞り込めていない有様である。
これに輪をかけたのが、F-22戦闘機の「地上整備員」複数が、やはり同様の症状を訴えるに至ったことで、ここから話は機体の酸素系統からステルス・コーティングの有害性にまで広がってしまった。
また、この問題が米軍機関紙などに取り上げられるようになってから、パイロットによる同症状の申告が増え、それらが本当に身体的な問題なのか、それとも心因性の症状なのかという、複雑な状況になっている。
このあたりの経緯はアメリカの一般メディアからも注目を集め、Aviation Week & Space Technology誌では毎号のようにこの事案を報じるとともに、2018年には『SPECIAL TOPIC HIPOXIA』という特別号を刊行したほどである。
酸素欠乏症
しかし、酸素欠乏の症状は人によっても様々で、むしろ一般的には意識喪失を伴わない事例のほうが多いのである。
具体的には、手足の痺れ感を覚えたり、判断力や認識力が低下したりといった影響のほか、精神状態の変調が起こる例もある。先述したAviation Weekの『HYPOXIA』によれば、ヒステリックに笑って好戦的になったり、危険な状況にもかかわらず酸素吸入を拒否するなど、奇妙な振る舞いが数多く観察されているという。
Just recognizing hypoxia can be tricky, as each pilot experiences different symptoms, ranging from tingling in hands and feet to disorientation and even personality changes. Air Force Maj. Joseph Teodoro, who commands the Aerospace and Operational Physiology unit at Langley AFB in Virginia, has seen a range of strange pilot behaviors, from hysterical giggling to belligerence and even some who, unaware of their critical situation, refuse to go back on oxygen.
Aviation Week & Space Technology, SPECIAL TOPIC HYPOXIA より
パイロットにはなにが見えていたのか
自衛隊の調査結果にあるとおり、異常な降下姿勢に陥った後も、事故パイロットは意識を喪失していなかった。しかし、空間識失調のため降下姿勢を誤認していた、というのが調査結果の示唆するところである。
さて、ではパイロットにはなにが見えていたのだろう。
外界の水平線が見えていなかった、というのはそうかもしれない。しかし、F-35Aのパイロットは「人工的な」水平線が見えていたはずだ。
F-15などの「第4世代戦闘機」には、ヘッド・アップ・ディスプレイ(HUD)と呼ばれる装置があり、パイロットの前方視界に飛行諸元が表示される。HUDに映し出される諸元は、人工的に生成された水平線、機首の上下角、左右の傾きなどの姿勢情報と、速度、高度などの基本情報である。
F-15あたりまでは、計器盤の姿勢儀や速度計などが主計器とされているが、F-2ではHUDが主計器である。そして、F-35ではさらに進んで、HUDではなくヘルメットと一体になったヘルメット・マウント・ディスプレイ(HMD)が採用されている。
下に示したのがF-35のHMD表示例だが、水平線は説明しなくても一目瞭然だろう。中心の左側には速度情報、右側には高度情報が表示される。四角に囲まれた数字がそれで、この例では速度382ノット、高度19,067フィートを飛行している。
この表示を眼前に飛んでいるパイロットが、急降下姿勢に気付かず、空間識失調に陥ったまま墜落するだろうか。
もし姿勢の異常に気付かなかったとしても、速度や高度を誤認することは考えにくい。
どんな場合も、パイロットは常に速度と高度をチェックしつつ飛行している。外界の視覚情報では、速度や高度を判定することはできないからだ。
その点からも、この事故は異常である。
経験したことのない速さで急激に高度が下がっていき、速度が意図せずに音速に達しようとしているのに、いくら空間識失調に陥ろうが、パイロットが気づかなかったり、放置したりするとは、考えにくいのである。
急がれた結論と追従するオタク世論
航空自衛隊が空間識失調であるとの調査結果をまとめたことには、なんの不思議もない。
もし「酸素欠乏症」の可能性を残した調査結果となった場合、日本国内はもとより、アメリカ本国や、その他の国々からも、F-35に対する不信が寄せられることになる。
また、ただでさえ非難されている航空自衛隊での大量調達に対して、見直しを求める声が上がるのは火を見るより明らかだからである。
自衛隊で発生した事故に関しては、基本的に一般には詳細が公表されないが、原因を突き止めることができない事故や、抜本的な対策の困難な事故については、おざなりな調査結果を出して飛行を再開するというのが決まりごとのようになっている。
今回の事故も同様の幕引きになったわけであるが、先述した酸素欠乏症に関わる疑念は決して払拭できたとは思わない。むしろ、空間識失調という「パイロット個人」の責に帰して、ただでさえ批判の多いF-35を庇ったように思えてならない。
ネット上では、空間識失調という「公の」結論に疑念を呈した論者に対して、いつものことだが低劣な罵倒が集中している。
togetter F35Aの墜落事故の原因が空間識失調だと判明し、「パイロットの責任にされた!」と言い出す左翼達
罵倒に加わっているのは、これまたいつもの自称「軍事航空評論家」とお仲間の面々で、実に醜悪な光景である。
こういう愚劣極まる軍事オタクには、もはやかけるべき言葉もない。彼らにとっては、大本営が発表さえすれば、空母サラトガは4度沈んで疑問もないのであろう。