ビレッジセンターという会社が11月末で解散するというニュースがありました。
そういえば、パソコン・ソフトのサプライヤーとしては、ちょっとした会社だったはずだなぁ、と思いましたが、いまひとつ代表的な製品が思い出せませんでした。
ニュースの本文を読むと、「VZ Editor」、「ミカンせいじんスクリーンセーバー」、「WZ Editor」という懐かしい名前が書いてありました。そうかそうか。・・・でも、残念ながら、「この会社、まだあったんだな」という印象しか受けませんでした。
この会社の沿革を見てみると、技術評論社から独立して1986年に創立した企業のようです。そして、1988年にMS-DOS用のテキストエディタ「VZ Editor」を発売。
この頃は、ようやくWindowsやMacintoshなど、GUIベースのコンピューティング環境が誕生しようとしていましたが、まだまだ世の中はテキストベースのMS-DOSが中心でした。
そんな中で、「VZエディタ」は一世を風靡したエディタでした。私も使いました。借りたPC-9801や、後に自分で買った初期のDOS/Vパソコンで。
でも、それはビレッジ社が開発したソフトではなく、在野のプログラマが開発した優秀なソフトをパッケージングして販売したものでした。
もう少し読んでみると、1993年に出た「ミカンせいじんスクリーンセーバー」は、国産初のWindowsスクリーンセーバーだったんだそうです。なるほど。 → (なんと復刻版がある!)
面白い商品でしたが、時代の流行に乗っただけの製品であることは否めず、明らかに消耗品です。
この当時、もうビレッジセンターという会社は力尽きたな・・・、と私は思っていました。
そして、その存在も早々に忘れてしまったのだと思います。
ビレッジ社の沿革を更に読むと、1996年に米国シリアスソフトウェアと提携して、Windows用の画像管理データベース「サムズプラス1.0J」を出したとあります。これは、まだデジカメが今のように普及する前のことですから、先見性のある判断だったのかもしれません。
実際、私は、これよりずいぶん後になって、「サムズプラス」を導入しました。
しかし、それはビレッジ社の売っている日本語版ではなく、英語版のダウンロード販売でした。
というのも、ビレッジ社の日本語版は、どういうわけか英語版より1バージョン遅れていたのです。
つまり、ビレッジ社版のVer.6というのは、なぜか英語版のVer.5を日本語化したものでした。で、英語版のVer.7が出ると、ようやく一世代前のVer.6を翻訳した”日本語版Ver.7″が登場するという具合です。
私も、最初はできれば日本語版を導入したいと思っていましたが、あまりの酷さに驚きました。だって、英語版より高いお金を払うのに、機能は1世代前のソフトを買わされるのです。それに、こんな対応しかできない会社が、製品サイクルの早いデジカメ新型機への対応も、できるわけがありません。
私は、開発元のシリアスソフトウェア社は、日本での提携先を誤ったのだ、と思いました。
それが、あの「VZエディタ」を売っていたビレッジセンターだとは思いもしませんでしたが。
提携先さえ良ければ、サムズプラスは日本でももっと売れて良いはずのソフトだと思ったものです。
ビレッジセンター解散のニュースは、とんでもなく遅れてやってきたバブル崩壊のように思えます。
ビレッジ社は、社主による「解散における謝辞」としたPDFデータを掲示していますが、私はこれを読んで苦笑いを禁じえませんでした。
この「謝辞」とやらの文末は、こう結ばれているんです。
「最後に私事ですが、梁石日氏に頂戴したペンネーム「村中豊」にて、本年8月に『紅蓮』(朝日新聞出版)を上梓しました。現在、第二作目を執筆中ですので、叱咤激励を頂戴できると幸甚です。」
一体なんなのでしょうか、これ?
正直言って、こういう企業が今まで生き残っていたことが、ちょっと不思議に思えました。(w